志穂美悦子の学歴と経歴|出身小中学校高校や大学の偏差値
志穂美悦子さんが30年ぶりにバラエティ番組に出演しましたね。
アクション女優からフラワーアーティストに転身していました。
今回は志穂美 悦子について調べてみました。
志穂美 悦子(しほみ えつこ、1955年10月29日[1] – )は、日本の女優・歌手・フラワーアーティスト。
海外ではSue Shiomi の名で知られ、日本で初めて女優自らスタント・擬斗を演、
1970年代から1980年代にかけて活躍した。
ジャパンアクションクラブ (JAC) が初めて輩出した女優。
愛称は悦っちゃん。
著名な家族 文音(長女)、WA航RU(長男)、長渕蓮(次男)
■略歴
生年月日
1955年10月29日(63歳)
父親が大蔵省造幣局に勤務する家庭に長女として生まれた。
弟が一人いる。
岡山県西大寺市出身。
本名は長渕 悦子(ながぶち えつこ)
旧姓は塩見 悦子(しおみ)
1972年8月
千葉が主宰するジャパンアクションクラブ (JAC) を受験して合格。
1987年8月29日に長渕剛と結婚
一女二男を授かった。
■学歴
岡山市立西大寺中学校から
1971年、岡山県立西大寺高等学校へ進学。
子供のころから運動が得意で、中学・高校と陸上部に所属。
中学時代には80メートル・ハードルで、13秒4という岡山県歴代2位の記録を残す。
1968年から放映されていたテレビドラマ『キイハンター』を観て以来、千葉真一の熱狂的ファンとなり、
感化された志穂美は高校生の時にスタント・パーソンになりたい夢を抱く。
1972年8月
千葉が主宰するジャパンアクションクラブ (JAC) を受験して合格。
同年10月に上京して入会するとともに中延学園高等学校に転校し、1974年に卒業した。
(2001年朋優学院高等学校(偏差値53)に改称)
■経歴
1973年
ボディガード牙(1973年) – マキ(渡辺やよい)の吹き替えで出演
※塩見 悦子名義
1975年
「13階段のマキ」で歌手デビュー
1986年6月からホームドラマ『親子ゲーム』で、元暴走族でラーメン屋を営む青年(長渕剛)と同居する恋人を演じた。撮影中に志穂美が左手小指の付け根を骨折し、病院に向かう志穂美に長渕が付き添ったことから親密となる。
不器用ながらもお互い魅かれ合っていくカップルが描かれた映画『男はつらいよ 幸福の青い鳥』(1986年)でも長渕と共演し、志穂美にとって最後の映画となった。
この頃には公に親密に交際を育んでいることを双方とも認めている。1987年8月29日に長渕と結婚
長渕の意向で芸能界を引退した志穂美は、「クセのある男なので専業主婦したい」とこれ以降は芸能活動を行っていない。
1988年3月17日に長女・文音(女優)を授かったのを皮切りに、長男・WA航RU(ヒップホップミュージシャン)、次男・長渕蓮(レーシングドライバー)らの娘・息子がいる。
1995年1月に長渕が大麻取締法により逮捕され、それ以前に長渕との不倫関係が噂されていたタレント・国生さゆりが記者会見を開き「薬物に対する身の潔白と、長渕夫人を交えて話し合い、長渕との不倫関係を清算させた」と発表した事により、志穂美の名が再びマスコミの注目を浴びることになった。
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