美川憲一の学歴と経歴 出身小中学校高校や大学の偏差値
デビュー54周年目に入った美川憲一さん
お年も今年2019年には73歳になります。
今回はその美川憲一さんをググってみました。
美川憲一とは?
美川 憲一
みかわ けんいち
1946年 5月15日生まれ
72歳
(2019年3月23日現在)
長野県諏訪市出身
血液型A型
日本の演歌歌手
俳優、タレントシャンソン歌手
■略歴
出生名 百瀬 由一(ももせ よしかず)
1964年
大映ニューフェイスに合格
1965年
「だけどだけどだけど」で歌手デビュー。
芸名の「美川」はデビュー当時のプロダクションの担当者が岐阜県とゆかりがあり命名。
1966年
「柳ヶ瀬ブルース」が120万枚を売り上げる大ヒット。
1968年
「釧路の夜」がヒットし45万枚を売り上げた。「釧路の夜」もヒットにより映画化され、美川も映画出演。
『第19回NHK紅白歌合戦』に「釧路の夜」で初出場。
1974年まで7年連続紅白歌合戦に出場。
1977年、1984年に大麻取締法違反で逮捕され、メディア出演が激減。
1980年
コロッケ(モノマネ芸人)によるモノマネがバカ受けし復活。
1990年
金鳥の「タンスにゴン」で「もっと、はじっこ歩きなさいよ」のフレーズが話題となる。
1991年
第42回NHK紅白歌合戦に復活。
以降19回連続出場を記録。さそり座の女を7回歌う。
その後「おだまりなさいよ。」というフレーズが流行語となる。
お姉キャラで再ブレイク。
■学歴
東京都出身の美川は
港区立南桜小学校から港区立愛宕(あたご)中学校へ進学。
高校は東京都港区の私立正則高等学校(偏差値52)に進学しています。
私立の男女共学の高校です。
入学当時は男子校でした。
吉田茂元総理大臣や森田健作千葉県知事(俳優)などが卒業生です。
しかし
芸能界入りを目指し高校1年生で中退し東宝芸能学校へ入学しています。
■大麻事件
1977年
10月に大麻取締法違反で逮捕されたが起訴猶予となった。
1984年
大麻取締法違反で2回目の逮捕。
判決は懲役1年6か月、執行猶予3年。
芸名を「美川けん一」に変更したが、事態が好転することはなかった。
大麻事件の後しばらく低迷が続き落ち込む美川を見て、親友のうつみ宮土理は「またあなたの時代が来るから、くさらないで」と言って励ました。
過去に二度逮捕された大麻事件について美川は『バイキング』(フジテレビ、2016年9月7日放送)にて、
「クスリを一時やめても、また誘惑にかられて悪魔がささやく」
「人生ダメになって死んでしまいたいというくらいにギリギリに追い込まれる」と、自らの体験談を語っている。
美川は二度の大麻事件から自分が立ち直り、再び歌手として再起出来たのは「生みの母と育ての母の二人の存在があったから。
背負うものがあったから頑張れて、地獄から這い上がれたんです」と述懐している
1996年に育ての母が死去。
2006年に生みの母が死去している。
コメント