1986年、アイドルグループ「おニャン子クラブ」に入り、芸能活動を始めた。
グループ解散後は、女優や歌手としてテレビや舞台などで活躍。
結婚して長女を出産し、仕事と育児に追われる日々を送っていました。
2010年は忙しさから、がん検診の予約を入れ忘れ、知り合いの医師に勧められ、11年1月、人間ドックを受診。
すると、「再検査」の通知が届きました。
今回は、この生稲晃子さんいついてググってみました。

生稲 晃子
いくいな あきこ
1968年4月28日生まれ
51歳
2019年6月17日現在
本名
佐山 晃子
さやま あきこ
旧姓
生稲 晃子
いくいな あきこ
出身地
東京都小金井市
身長
158cm
血液型
B型
職業
女優、歌手
女性アイドルグループおニャン子クラブの元メンバーで、会員番号は40番。
所属事務所
プロダクション尾木
■略歴
東京都小金井市出身。
家族構成は、両親と3人兄弟の末っ子です。姉と兄がいます。
1984年、『第9回ホリプロタレントスカウトキャラバン』に応募したが3次審査で落選となるが、ホリプロの系列モデル事務所からスカウトされて所属することになる。
1986年6月、『夕やけニャンニャン』内オーディションコーナーを経て、
1986年6月13日に、おニャン子クラブの会員番号40番としてデビュー。
1987年5月
「うしろ髪ひかれ隊」のメンバーで「時の河を越えて」でレコードデビュー
1987年9月20日
おニャン子クラブ解散。
1988年4月をもってうしろ髪ひかれ隊の活動が休止。
5月21日に「麦わらでダンス」(フジテレビ系放映アニメ『ついでにとんちんかん』主題歌)でソロデビュー。
7月にはフジテレビ系ドラマ『あそびにおいでョ!』で連続ドラマに初出演。
■学歴
中学校は小金井市立緑中学校に進学。
中学時代は50m走を6.8秒で走るなど運動には自信があった。
高校は東京都吉祥女子高等学校(きちじょうじょし)に進学。
(吉祥女子高校は、吉祥寺市にある私立の中高一貫高校です。)
高校は芸能活動禁止であったが、生稲の成績が非常に優秀であったため、「トップの成績を維持すること」と「大学を受験する事」の2つを条件に芸能活動が特別に許可された。
大学へは恵泉女学園(けいせんじょがくえん)短期大学英文学科へ進学。
現在、偏差値はボーダーフリーです。ボーダーフリーとは募集人数に対して受験人数が少なく合否の基準となる偏差値を出せない大学の事を言います。
■病歴
2011年4月28日
43歳の誕生日に乳がんが発見される。
5月6日
腫瘍のある部分を切除する乳房温存手術を受け、放射線照射と薬による治療を続けた。
2012年の夏、再発が判明。
がんのできた部分を切除する再手術を受ける。
2013年10月
3度目の切除手術、同年12月27日に右胸の全摘手術を受けた。
2015年10月27日
右乳房の再建手術を受ける。
同年11月、自らのがんを公表。
2016年9月に「働き方改革実現会議」の有識者委員に選出される。
まだ、51歳なので頑張って頂きたいですね。
今回は、生稲晃子さんについて紹介しました。
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