高島忠夫の病歴 学歴と経歴 出身小中学校高校や大学の偏差値は

俳優
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俳優の高島忠夫さんが老衰のため26日13時1分に自宅でお亡くなりになりました。

88歳でした。

所属事務所が6月28日にファクスで発表しました。

高島忠夫

高島 忠夫
たかしま ただお

本名は高嶋忠夫
(読み同じ)

1930年7月27日生まれ
88歳
2019年6月28日現在

血液型はO型

身長
181 cm

日本の俳優・タレント・司会者である。

4人姉妹弟の長男(姉1人、妹1人、弟1人)

所属事務所は東宝芸能

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■略歴

兵庫県武庫郡御影町(現在の神戸市東灘区御影町)で、姉妹弟のいる4人姉弟の長男として産まれる。

祖父は大地主で不動産収入があり、そのため父は琵琶師匠を称していたが弟子もおらず、生涯定職についていない家だった。

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■学歴

成績は優秀で神戸一中に進学。

水泳部に所属した。

同じクラスに作家の小松左京がいた。

小松とは、一緒にバンドを組んでいた。

学制改革により六・三・三制となり、神戸一中5年から新制神戸高校3年へと進学するが、ジャズに没頭して退学。

翌年に関西学院高等部(偏差値65)へ今で言う「水泳推薦」で編入学する。

高校では団鬼六がボーカルだった軽音楽クラブに所属した。

映画界入りしたことで関西学院大学(偏差値50)は2年で中退した

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■デビュー後

1951年に映画会社新東宝のニューフェイス「新東宝スターレット」の第1期生として芸能界入り。

本名の高嶋忠夫から芸名を高島忠夫として、21歳で上京して東京暮らしを始める。

1952年の映画『恋の応援団長』でデビュー。

同年に『チョイト姐さん思い出柳』で初主演し、以後新東宝で主演級の歌うスターとして活躍。高島の映画出演は1950年代から1960年代が中心で100本以上

1958年
東宝に移籍。

女優の寿美花代(すみ・はなよ)とは、1961年に寿美(すみ)が司会のテレビ番組『季節のミュージカル』にゲスト出演したことから知り合い2年間の交際を経て、1963年に結婚。

『ごちそうさま』で長く夫婦で共演していた。

結婚後、長男・道夫をもうけるが、1964年に生後5か月で当時17歳の家政婦によって殺害されるという事件に見舞われた。

1970年代からは本格的にテレビに進出して司会業を行う。

料理番組『ごちそうさま』やクイズ番組『クイズ・ドレミファドン!』などの司会業の他、『ゴールデン洋画劇場』では映画解説をつとめた。

1980年代後半に次男の政宏、三男の政伸がともに俳優としてデビュー。

1995年

阪神・淡路大震災で被災して実家が全壊。

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■病歴

1970年代半ばには暴飲暴食によって、糖尿病を発病。

一時は体重が120kg近くになっていた。

糖尿病を発症して以後、一時禁酒したがダイエットに成功した頃より飲酒を再開。

不眠症で酒と睡眠薬に頼って眠る日々で、アルコール依存症になっていた。

1998年に重度のうつ病を発症し、レギュラー番組を降板。

その後パーキンソン病を発症し、2010年には不整脈のため心臓にペースメーカーを取り付ける手術を行った。

6月26日13時1分 御自宅でお亡くなりになりました。

88歳でした。

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