「ラジオ界のレジェンド」として人気を博したフリーアナの小島一慶さんが4月23日、肺がんのため、都内の病院にて75歳で亡くなりました。
軽妙な語り口が持ち味で、先輩の久米宏さんに続いて人気番組「ぴったし カン・カン」の2代目司会者を務めた。
今回は、この小島一慶さんについてググってみました。
小島一慶とは?

本名
小島一慶
こじま かずよし
1944年10月2日生まれ
75歳
(2020年4月26日現在)
長崎県長崎市出身
身長
170cm
血液型
O型
職業
アナウンサー
所属事務所
㈱オールランド
■略歴
家族は父親と母親。
母子家庭で祖父と祖母と一緒に暮らしていた。
幼稚園時代から演劇が好きになり、浪曲も好きで、子供の頃の夢は「浪曲師か役者になりたい。」と思っていた。
■学歴
小学校、中学校は公表していません。
中学入学後はすぐに演劇部に入部し活動。
高校は長崎県立長崎東高等学校に進学。
高校生時代も部活は演劇部に入部。
高校では生徒会長に就任。
大学は日本大学芸術学部(偏差値45)へ進学。
元々役者志望で舞台中継を希望していたがアナウンサーを目指していた為、入学後はアナウンス研究会に入会。
就職活動ではTBSの他 NHK、日本テレビ、フジテレビ、ニッポン放送など総なめにするつもりで受験するも全て不合格
卒業論文の単位だけ残して留年。
留年中はTBSでアシスタントディレクターのアルバイトをし翌年はTBSだけを受験し合格。
■デビュー後
1968年(昭和43年)
日本大学芸術学部放送学科を卒業し、TBSに入社。
1969年
TBSラジオ「ヤングポップス1010」のDJに抜てきされる。
1970年
「パックインミュージック」の火曜日を担当。
1977年
「ロッテ歌のアルバム」でテレビに初めて登場。
1984年
先輩の久米宏に続いて人気番組「ぴったし カン・カン」でゴールデン帯初のメイン司会を担当した。
70年代から80年代にかけて、TBSの人気ナンバーワンのアナウンサーだった。
1990年3月
TBSを退社し、フリーに転向。
TBS退社後はテレビ朝日と専属契約を結び、テレビ朝日専属キャスターとして『ホットライン110番』の司会を務める。
1991年4月
テレビ朝日系「モーニングショー」の司会を務めることが決定していたが、直前に女性スキャンダルが発覚。専属契約を解除され、レギュラー番組も全て降板して、泣きながら会見して謝罪した。
1991年12月
テレビ東京系「TVコロンブス」でテレビ復帰。
92年4月スタートのTBSラジオ「おまたせ一慶まっぴるま!」でレギュラー復帰した。
その後は古巣のTBSを中心にラジオやナレーションなどで活躍した。
2008年12月31日
またしても婦女暴行容疑で刑事告訴されたことを受け番組を降板。
ただ示談が成立し告訴は取り下げられている。
2014年
仕事復帰して、TBSラジオを中心に活動していた。
■まとめ
小島一慶さんの本名はこじま いっけい。
学歴は私立の日本大学芸術学部を卒業で偏差値は45でした。
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