俳優でタレントの岸部四郎さんが8月28日午前4時33分、拡張型心筋症による急性心不全のため、千葉県内の病院で死去していたことが分かりました。
71歳でした。
近くに住む俳優で兄の岸部一徳さん(73)も駆け付けたという事で岸部一徳さんに関心が集まっています。
岸部一徳さんが話題ですね。
今回は、この岸部一徳さんについてググってみました。
岸部一徳とは?

本名
岸部 修三
きしべ しゅうぞう
1947年1月9日生まれ
73歳
(2020年9月16日現在)
京都府京都市出身
身長
181cm
血液型
A型
職業
俳優・ミュージシャン
所属事務所
アン・ヌフ
■略歴
家族は父と母と6人の兄弟がいます。
幼い頃に両親が離婚して、父子家庭にて育っています。
父は元憲兵。
弟は同じくタイガースのメンバーであった岸部一徳。
京都府京都市で産まれました。
■学歴
小学校は京都市内の公立校の朱雀(すざく)第八小学校に入学しています。
中学校は京都市立北野中学校に進学しています。
のちに「ザ・タイガース」のメンバーとなる「瞳みのる」と同級生となる。
中学校卒業後は京都市立伏見工業高等学校建築科(偏差値45)に進学。
高校3年生の時に、瞳みのるさんと森本太郎さんと加橋かつみさんの4人で「サリーとブレイボーイズ」を結成。
翌年
沢田研二さんがボーカルとして加入、バンド名を「ファニーズ」と改称。
1年後の1967年にバンドは「ザ・タイガース」としてデビュー。
■デビュー後
1967年2月5日
シングルレコード『僕のマリー/こっちを向いて』でデビュー。
B面の「こっちを向いて」は岸部によるボーカル曲である。
若手グループサウンドとして脚光を浴び、ボーカルの沢田研二、瞳みのるの人気が高まる。、
シングル4枚目の『君だけに愛を』で一気に頂点へ上り詰め、解散まで「GSの王者」として君臨した。
1969年
メンバーの加橋かつみの脱退を受け、弟の四郎(シロー)を新メンバーとして加入。
1971年1月24日、
日本のミュージシャンとしては初の単独日本武道館公演となった「ザ・タイガース・ビューティフル・コンサート」をもってタイガースは解散。
1975年
久世光彦プロデューサーで『悪魔のようなあいつ』に出演して、本格的に俳優に転身する。
多くのテレビドラマや映画に出演
1990年に主演した映画「死の棘」では日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞して、バイプレイヤーを地位を確立しています。
■まとめ
岸部一徳さんの最終学歴は京都市立伏見工業高等学校建築科を卒業です。
偏差値は45でした。
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