ザ・ドリフターズの高木ブー(87)さんが、1日午後7時からフジテレビ系で生放送された肺炎で亡くなった志村けんさんの追悼特別番組「志村けんさん追悼特別番組 46年間笑いをありがとう」に生出演しました。
高木ブーさんが話題ですね。
今回は、この高木ブーさんについてググってみました。
高木ブーとは?

本名
高木 友之助
たかぎ とものすけ
1933年3月8日生まれ
87歳
(2020年4月3日現在)
東京都豊島区出身
身長
160cm
血液型
O型
職業
コメディアン
所属事務所
イザワオフィス
■略歴
家族は父と母と3人の兄と2人の姉がいます。
4男で末っ子です。
1945年の戦災で、12歳の時に母方のふるさと千葉県に移り住みます。
大学卒業後にプロのミュージシャンとなります。
■学歴
京北学園中学校に進学。
中学3年生の時に、兄からウクレレを贈られた事がきっかけでウクレレに夢中になります。
高校は東京都の白山高等学校に進学。
私立の高等学校です。
2015年度の卒業生をもって休校となっています。
大学は中央大学経済学部に進学。
中央大学経済学部在学中は音楽研究会「ルナ・ハワイアン」に所属していました。
卒業後は東京ガスの採用内定をもらっていたがプロのミュージシャンとなった。
■デビュー後
卒業後は
「高木智之とハロナ・セレナーダス」
「高木智之とハロナ・リズム・コーラス」
「ニュー・フレッシュメン」
「ジェリー藤尾とパップ・コーンズ」
「ロジェ滋野(しげの)とシャドーズ」のバンドマンとしてアメリカ軍キャンプ等で演奏を行います。
1962年
ダンスパーティーで知り合った一般人と結婚。のちに女の子をもうけています。
1964年
いかりや長介にスカウトされ、ピアニストの欠員補充としてザ・ドリフターズに加入。
いかりや長介は、スカウトした理由を「太っていてコミックバンド向きの外見だから、新生ドリフにスカウトした」と答えている。
ドリフ加入後もしばらくは「高木智之」を名乗っていたが、渡辺プロの先輩ハナ肇がいまの芸名「高木ブー」に変更となる。
あだなが「ブーたん」だったことから「たん」を取ったとの事。
1965年
フジテレビの番組『歌え!一億』のスポンサーとの会議中に大いびきをかきながら居眠りをしてしまい、番組が打ち切りになった。
のちに「ピックウィック症候群」(肥満による重度の睡眠時無呼吸症候群)が原因である事が判明しました。
1985年9月
『8時だよ!全員集合』が終了。
ドリフのメンバーとして初めて単独での活動を開始、新劇の役者を目指した事があった。
1985年
フジテレビ『ドリフ大爆笑』の「長介・工事・ブー おなじみ雷様」コントがシリーズ化され、雷様(かみなりさま)のキャラが高木の当たり役となる。
1994年
脳腫瘍で最愛の妻を亡くします。
1999年4月
NHK教育テレビ『趣味悠々(しゅみゆうゆう)高木ブーの今すぐ始めるウクレレ』において講師として出演。
高木ブーが愛用しているウクレレはダブルネック、4弦+8弦である。
2001年
東京の麻布十番にハワイアンバー「Boo’s Bar HALONA(ブーズバー・ハロナ)」をオープン。
店内では、高木ブーが定期的にミニコンサートを行っっていた。
2009年4月
長年の肥満と0脚が影響し、変形性膝関節症を患い右膝の人工関節手術を行う。
2011年
同じく左膝も人工関節手術を受ける。
2012年
自宅で気分が悪くなり、膝痛も悪化したことから救急搬送された。
■主な作品
テレビ
『8時だョ!全員集合』
『ドリフ大爆笑』
■まとめ
高木ブーさんの本名は高木 友之助(たかぎ とものすけ)
身長は160cm。
最終学歴は中央大学経済学部卒業です。
現在の偏差値は64から70で、当時の偏差値は不明でした。
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