キャンディーズ解散後、41年ぶりに歌手活動を伊藤蘭さんが再開しました。
背景には夫・水谷豊の後押しがあったと言います。
スーこと田中好子は2011年に他界(享年55)。
ミキこと藤村美樹(63)は芸能界から離れた。
唯一、間隔を空けながらも女優を続けていたランこと伊藤蘭(64)が、実に41年ぶりに歌手活動を再開。
5月にソロアルバムをリリース、6月に東京・大阪でコンサートを開催する。
今回は、その伊藤蘭さんについてググってみました。
伊藤蘭とは?
伊藤 蘭
いとう らん
本名
水谷 蘭(みずたに らん)
旧姓:伊藤 蘭
1955年1月13日生まれ
63歳
(2019年 6月12日現在)
身長157cm
東京都武蔵野市出身
日本の歌手、女優、ナレーター
元キャンディーズのメンバーである
事務所
トライサム
夫は俳優の水谷豊、長女は女優の趣里。
■略歴
家族はふたり兄妹で6歳上に兄がひとりいる。
幼少期は活発だが恥ずかしがりやで口数が少なく人前に立つ性格ではなかったが、中学入学後自分で変わりたいと演劇部に入部。
さらに、当時ファンだったフォーリーブスのバックで踊るスクールメイツの姿に憧れて自ら応募する。
1969年に渡辺プロダクションが経営する東京音楽学院に入学。
入学後、スクールメイツのメンバーに選抜される。同期生には田中好子・太田裕美らがいた。
1972年にNHKの歌番組『歌謡グランドショー』のマスコットガールのオーディションに田中好子・藤村美樹とともに合格。
この3人組はキャンディーズと命名され、マスコットガール兼アシスタント(椅子・マイク運び、代理音合わせなど)として活動。
なお、キャンディーズの名前の由来は、NHKの当時のプロデューサーの「食べてしまいたいくらいかわいい」という想いから。
1976年
9枚目シングル「春一番」がヒット
1977年 7月
突然の解散宣言。
1978年 4月に解散。
1989年
水谷豊と結婚。
1990年
長女の趣里(しゅり)を出産。
■学歴
武蔵野市立大野田小学校から杉並区立荻窪中学校に進学しています
中学校時は演劇部に入っていました。
一方で部活動以外で3年生の時にスクールメイツに応募し活動していました。
1973年3月 東京都の日本大学第二高等学校(偏差値67)へ進学しています。
私立の女子高校です。
日本大学芸術学部演劇学(偏差値50)へ進学。
1年生の時にキャンディーズとしてデビュー。
■デビュー後
1973年9月1日には、田中好子(ニックネームはスーちゃん)、藤村美樹(ニックネームはミキちゃん)と共にキャンディーズとして「あなたに夢中」で歌手デビュー。
5曲目のシングル「年下の男の子」以降から伊藤蘭をセンター位置のリードボーカルを担当した。
1977年7月17日、日比谷野外音楽堂でのコンサート中、突然キャンディーズの解散を宣言。その最中、伊藤が泣き叫びながら発言した「普通の女の子に戻りたい!」は、当時流行語ともなった。翌1978年4月4日のキャンディーズ解散コンサートと同時に芸能界を一時引退する。
■解散後
1979年5月18日午後11時半頃に杉並区を歩行中に後ろから来た乗用車にひき逃げ事故にあう。
全治10日の怪我
。1980年(昭和55年)映画『ヒポクラテスたち』(大森一樹監督・作)に主演して本格的に女優復帰
キャンディーズの解散後もメンバーだった藤村と田中とは定期的に会っており、3人の交流は田中が亡くなるまでずっと変わることなく続いていた。
2011年4月21日に田中が乳がんで死亡。
伊藤は藤村と共に病室で7時間過ごして田中の最期を看取ったことを、田中の通夜のインタビュー(囲み取材)で明らかにした。
25日に行われた田中の葬儀では藤村とともに弔辞を読んだ。
『あんちゃん』『事件記者チャボ!』で共演した俳優の水谷豊と、6年半の交際期間を経て1989年1月にハワイにて挙式
翌1990年、長女の趣里(しゅり、2011年に女優デビュー)を出産。
2019年5月29日にソニー・ミュージックダイレクトよりオリジナル・アルバム『My Bouquet』(マイ・ブーケ)をリリースしキャンディーズ解散以来41年ぶりにソロ歌手として復帰した。
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