3月26日に消化管間質腫瘍のため死去した「ショーケン」こと歌手で俳優の萩原健一(本名・萩原敬三)さん(享年69)に対し、元妻で女優のいしだあゆみ(71)が29日、所属事務所を通じて「ご冥福をお祈り致します」と追悼のコメントを発表しました。
今回は、その「いしだあゆみ」さんについてググってみました。
いしだあゆみとは
出生名
石田 良子
いしだ よしこ
1948年 3月26日生まれ
70歳
(2019年3月29日現在)
出生地
長崎県佐世保市
出身地
大阪府池田市
日本の歌手、アイドル、女優
事務所
イザワオフィス
■経歴
家族は両親と4人姉妹の次女。
実家は老舗の喫茶店で、姉の影響でフィギュアスケートを始めています。
生後2か月で肺炎にかかり、瀕死のところ佐世保の米軍基地の病院でペニシリンによって助けられました。
フィギュアスケート選手を経て芸能界にスカウトされ、
1960年に梅田コマ劇場で初舞台を踏んでいます。
児童劇団ともだち劇場で泉田行夫の指導を受けています。
1962年
15歳の時に上京し、いずみたくに師事。
1962年4月20日、ソノブックス社よりソノシートで『夢みる恋(原題:Walkin’ Back To Happiness)』を本名の「石田良子」名義で発表。
1964年『ネェ、聞いてよママ』で「いしだ・あゆみ」名義でレコードデビューを果たしました。
テレビドラマ『七人の孫』に初出演する。
■学歴
小学校は大阪学芸大学附属池田小学校に進学しています。
中学校は大阪学芸大学附属池田中学校に進学しています。
東京都台東区にある上野学園高校普通科(偏差値45)に進学しています。
共学の私立高校です。
高校卒業後は芸能活動に専念の為、大学へは進学していません。
■卒業後
1968年6月、イメージチェンジと歌手活動に専念のためレコード会社を日本コロムビアへ移籍。
同年12月に発売された『ブルー・ライト・ヨコハマ』が1969年初頭から大ヒットし、150万枚の売り上げを記録。
NHK紅白歌合戦に1969年から1977年まで9年連続出場。
1993年には16年ぶりに復帰し通算10回出場した。
1979年、所属していた渡辺プロダクションから分社化したイザワオフィスへザ・ドリフターズなどと共に移籍し、その後は次第に女優業へ主軸を移す。
テレビドラマ『祭ばやしが聞こえる』で共演した萩原健一と1980年に結婚したが、1984年に離婚した。
萩原は後に自叙伝「ショーケン」で、実際に2人は1度も籍を入れておらず、事実婚(内縁状態)であったと告白した。
しかし『週刊新潮』2008年4月3日号の記事(『「ショーケン自伝」いしだあゆみと「未入籍」はウソだった』)によると、「未入籍は事実ではなく、萩原健一も実際には入籍していたことを認めた」とのことである。
1982年の『野獣刑事』ではヌードになり、細身の身体と裏腹に豊満な乳房を披露し、当時の芸能マスコミはこぞって取り上げた
『男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋』との両作品で第6回日本アカデミー賞主演女優賞を獲得。
テレビドラマでは『北の国から』や『金曜日の妻たちへ』に出演して当たり役となる。
千葉真一の熱狂的ファンで、仕事の合間を縫いながら必ずテレビドラマ『キイハンター』を観ており、千葉と会ったときには「大ファンです」と伝えている。
1979年の映画『闇の狩人』や主演したテレビドラマ『雪の朝に』(1987年5月1日)では恋人役で念願の共演を果たした。
■出演
テレビドラマ
『阿修羅のごとく』
『北の国から』
『金曜日の妻たちへ』
『青春家族』
『芋たこなんきん』
映画
『駅 STATION』
『男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋』
『夜叉』
『火宅の人』
『時計 Adieu l’Hiver』
『エクレール・お菓子放浪記』
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